2007年09月09日

後悔と上手につきあう

「そう、知らず知らずのうちにポジティブ思考が
 身に付いているのもいい面のひとつですよね。」

りゅうずの頃から私を知っているKさんに、そう言われて思い出した。
思い返した。
自分でも思う。
私って、プラス思考っていうか楽観的っていうか、
ずいぶんポジティブになったなぁ。(遠い目)

もとからこんなプラス思考ができていたわけじゃない。
っていうか、むしろ、どーんと奈落のどん底によく落ち込むことがあったような^▽^;。
だからこれ、実は知らないうちに身についたものじゃなかったりする。

私は強くなりたかったから、
いろんなことが起きてもちゃんと対峙して解決したかったから、
そうなりたい、とずっとずっと思ってきた。
プラス思考って言うか、前を向いて進む力がほしかった。
たくさんたくさん考えて、生きて、自分の真理を見つけたと思う。
ようやく。

私が「りゅうず」を閉鎖する原因となったのが、成の死だった。
060115.jpg
どーんと落ち込み、精神の深海に閉じこもり、表現する言葉を失った。
書きたくても、言葉が続かない。
表現したくても、デザインが生きてない。
世界が色褪せるって、ホントだ。
イロトリドリだった私の世界は当時、何の感慨も輝きも色彩もなくなった。
いつもデジカメを持ち歩き、いろんなコトを発見するのが好きだった私が、
世界への興味と一緒に、表現するものをなくしてしまった。
その位、私の後悔は奈落の底まで深かった。
猫に多いリンパ腫という病気さえ知らなかったこと。
末期になるまで、わからなかったこと。
成のためにしてあげられることが、もうほとんどなかったこと。
知識のなさが、そのまま後悔に直結して、重くのしかかる。

数ヶ月経って、ふと香った沈丁花が季節を思い出させてくれて。
そこからまた、日常への道をたどり始めて今に至るんだけどね。


きっかけは死んだ成が、私を起こしにきたことと、沈丁花。
病気であんなにがんばった成に、これ以上心配かけちゃいけないなーって、
でもそれだけじゃない。
気がついたら、友達がいろんな形で見守ってくれてたんだよね。
周りをみるゆとりが心に生まれるまでは、
何をやっても、自分にハッパをかけても、余計空回りして落ち込むだけかも。
悲しみや喪失感、寂しさは、どんなに時間をかけても完全に消えるものじゃない。
それがすごく大切だったものなら、なおさら。
とにかく、ムリはいけない。心のムリも身体的なムリも。

時間が解決してくれるのは、ホントだと思う。
消えないけど、後悔や悲しみは、そのうち形を変えてくれる。

「いつになったら元気になれるでしょうか?」って問われても、
あと○ヶ月で大丈夫!なんてことはまったくわからないし、言えないけど。
怒涛のような後悔と悲しみを抱えて、それでも生きていると、
そのうち元気だった頃の姿とか、楽しいことを思い出すことが多くなってくる。
楽しかったこと、大好きだったこと。
そういうコトを思い出すたびに、泣いたり笑ったり、笑う回数が増えていって。
だんだん「笑う>泣く」の気持ちになっていく。
だから、
私も妹も、わざと楽しいことを想像するようにしてた。
「今頃なにしてるかなー?」
「昼寝してるよ」
「さっきも寝てたじゃんっ」
生きる世界は違うけど、今も同じような生活をしてるつもりで、
片方(姉or妹)の問いかけにはもう片方(妹or姉)が答える。
時々おもしろい空想を交えて(天国は何でもアリだから)。
そうすると、今もフミやメイ、八重が元気に生活してるような気になってきて、
自然に笑うことができる。
後悔がカタチを変えてくれるのは、この「笑う」気持ちが大きいんじゃないかな。
ムリをすると余計につらくなる。
でも、なるべく楽しいほうに気持ちをもっていけるように。
努力するのは、そのくらいでいいと思う。

あと、悲しくなったら開き直る。↓私が今もよく言ってるけど。
"こんなに後悔を引きずるのは仕方ないよね。それだけメイが好きだったんだから"
mei061230.JPG
後悔するのも、悲しみを引きずっちゃうのも、悪いことじゃない。
それだけ、大切で大好きだったってことだから。
その気持ちを認めて言葉に出すとね、「そうだよな」ってきもちになるよ☆

目には見えないけど、生きる世界は別になっちゃったけど、
そんな風に「今も生きてる」って日常の端々の会話に参加させるから、
私たち姉妹のなかで、死んでしまったもの達は今も一緒に生き続ける。
これからも一緒に生きていける。

メイが死んで1年が過ぎ、フミが死んでもうすぐ4ヶ月。
まだ4ヶ月しか経ってないんだ・・・?
闘病していたのがもっともっと、前のような気がする。
その割りにフミの気配って言うか存在が近いことが、姉妹そろってフシギな点。
今でも1Fの部屋で生きているような、
でも闘病を終えて天国とササの元に存在しているような。

4ヶ月経っても1年経っても、後悔は大きさを変えながらも、やっぱり残ってる。
もっとできることはあったと思うし、
してあげたいことはたくさんあった。
でも、私は神サマじゃないただの人間だから、できることには限りがあって。
その限りの中で、自分なりに一生懸命だった。
だからこそ、今も残るその後悔はただの後悔じゃなくて。
これからの力になってくれる、大切な後悔として残ってる。
落ち込むけど、どんなことにもイミがあるんだなーって、
そういう考え方をしていると、ちゃんとイミを見つけられるようになる。
後悔は抱えるだけじゃなくて、上手に付き合うのが、いいね。
ニックネーム りゅう at 10:00| 虹 旅立ちを見送ったあと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする