2007年10月29日

一緒に生きてる時間という特権

友達が死んでしまった。バイク事故だった。

数年前と同じ、
違う、違う、同姓同名なだけで、違う、違う、と1日ずっと思っていたんだけど。
ずっとかかってくる家電話にも出なかったし、
それ以上の情報は入ってこないから、
やっぱり別の方の事故なんだ、大丈夫だ、と思っていたんだけど。
電話に出なかろうが、違うと言い聞かせようが、現実はかわらなかった。
もしそれが本当なら、このルートで情報が来るだろう。
そう思っていたルートから、連絡が来た。

生きることと死ぬことは、対照的なものじゃないような気がする。
生きていく・成長していく先に死がある限り。
病気であってもなくても、
命がいつ、どういう形で終わるのかって言うのは、わからないものだよね。

だからこそ。
病気と共存したり闘っているヒトや猫たちに、
病気だからって悲観して生きてほしくない。
健康元気である人たちに、
病気になったらどうしよう、お別れが来たらどうしよう、って悲観してほしくない。
いつ命の期限が訪れるかわからないけど、
そんなわからないことを考えないで、
みんなと楽しく、しあわせに、普通に生きてほしいなって思う。
もっと「とってこーい」で遊んであげればよかった。
もっと一緒の時間を作ってあげればよかった。
そんな後悔をしないためにも、
たくさんたくさん遊んで。笑って。ごはんを食べて。

何回も言うけど、しあわせは生きてる時間の長さじゃないよ。
死んでしまってからも、私はメイやフミ達が好きなことに変わりなかった。
生きていても死んでしまっても、変わらないものはある。
でも、生きてる間の特権っていうのかな。
面と向かって好きというとか、一緒に遊ぶとか、
その時しかできないことがあるってことを知っているから。

悲観的になるより、
病気でもそうじゃなくても、日々それぞれの楽しさに生きてほしいなって思う。

死んでしまっても、記憶がある限りしあわせは続く。
でも、やっぱり一緒に生きている時間って特権は、
手の届かない過ぎ去った飛行機雲と同じ、ほんとにほんとにキレイに輝いてるんだよ。
ニックネーム りゅう at 22:57| 虹 天国通路 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする