2009年12月27日

みんなの手

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今朝、我が家にやって来た猫天使。

先月末にコマが旅立ってから1ヶ月。
たぶん、みんなが思うほど、気落ちしてないのかな。
毎年のようにこれだけ闘病生活をして、旅立ちを見送り、
それに慣れたわけじゃない。
慣れる、じゃなくて、なんていうのかな・・・「受け入れる」かな?
後悔もそれはもちろん、あるんだけどね。

病気のことをなにも知らなかった頃、昔は後悔の方が大きかった。
自分の無知が、奈落ともいえるその後悔の深さだった。
その後悔を大事にかかえて来れた結果が、今の状態につながってる気もする。

あの頃より、いろんな病気のことを知った。
あの頃より、自分で私の猫のためにできるワザを身につけた。

病気のことを知るって言うのは、怖いけどとても大切なことだね。
助けたくても、どうにもしてあげられないことがあって、
それを知る怖さ。
「終わり」とか「どうにもできないこと」があるのはね、仕方ないことなんだよ。
認めたくなくてとても怖いことだけどね。
それがあるのは、確かなこと。

でも、そこに目を向けるんじゃなくて、
それよりももっと大切なこと=「してあげられること」に、
目を向けてほしいなって思う。

神サマじゃないから、病気を治してあげることはできないかもしれない。
でも、少しでも状態を良くしてあげられるかもしれない。
なにか食べさせてあげられるかもしれない。
よい治療法をみつけられるかもしれない。

そして、つらさを長引かせることを、やめてあげることができるかもしれない。

ヨッシーさんが猫天使とともに送ってくれた
「ペットがガンに負けないために」って本。
「はじめに」や、飼い主がかわれば〜のところを少しだけ読んだけど、
いい本だなぁって思った。

「100匹のガンの子がいれば、100通りの治療があるわけです」

リンパ腫とヒトコトで言っても、タイプはさまざま。
同じ部位にガンができても、進行も寛解も転移も、猫それぞれ。
怖がらせるわけでもなく、押し付けるわけでもなく、

ガンはこういう病気なんだよ。
こういう治療ができるんだよ。
こう進行してしまうこともあるんだよ。

そして、その治療を続けることを動物が望んでいるか、耳を澄ませて。って
その言葉がつたわる、良い本だと(ちょっと見ただけでも)思った。

自分が同じ病気だったら、ここまで治療してほしいと思わないと、
お母さんが言っていたけど。
私も自分でそう思うけど、だからって今までして来た事が悪いわけじゃない。

うちの猫たちを見ていたら、わかる。

メイもフミもたぬきもハクもササもはねもコマも。
治療はイヤだったかもしれないけど、それでも一緒にがんばってくれた。
自分の命の終わりが近いことを知ってたのかもしれないけど、
私たちがやることを、静かに受け入れてくれていたのを、なんとなく感じる。
(強制給餌はかなり嫌がったけどね・・・)
治療につきあってくれた、っていうのかな。
私がこうしてblogであれこれいえるのは、
うちの猫たちが本当にがんばってくれたからなんだよね。

闘病は焦りがあって、どうしても気がささくれてしまうけど。
ムリに明るく振舞うことはないと思う。
猫に不安を打ち明けてもいいと思う。
わーっと泣いたっていいと思う。

そのあとで一緒にいたいからがんばりたいってことを、
しっかり伝えてあげたら、ヒトも猫も心を支えあうことができると思う。

真っ白な猫天使は、PCの正面の壁に飾らせてもらいました。
静かに眠るような、笑っているような。
デコの広さが、はねみたい。でもみんなの面影が見えるような。
HDDの箱に入って(ヨッシーさんらしい)やってきた猫天使を見て触った途端、
わーっと泣いて少しすっきりした。

闘病の時、私を支えてくれるのは、
うちの猫たちと、声をかけなくても気持ちを送ってくれている猫友達みんな。
だからもう少し気持ちが落ち着いたら、
この本を読んで、みんなの手助けができるように、
みんなと手をつないでいけるようにしたいと思う。
ニックネーム りゅう at 10:44| 虹 旅立ちを見送ったあと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする