2010年06月28日

あの時は

あの時はどうして、あんなにがんばれたんだろう?

今年の春に大改悪爆弾をして愛想をつかしたgooメール。
ふと思い出してログインしてみたら、
シンプルメールという機能が選べるようになっていた。あら。
エキサイトのフリメにほとんど変えたけど、
ケイタイからもgooはログインしてメールを見ることができたからね、
緊急の猫のSOSメールとかに対応できてよかったのにーって残念だったんだよね。

どんなにどんなに大改悪だったかは、すでに世の中で散々話題になったからいいや。
とりあえず、使いやすくなったかどうか、しばらく様子を見てみよう。

あ、そうそう。
文頭の「あの時はどうして、あんなにがんばれたんだろう?」はこれ、
gooメールの過去のメールも移動措置が終わって読めるようになったので、
整理がてらに読んで、心に浮かんだ言葉なのでした。

2003年から使ってたあのアドレスには、いろんな気持ちが詰め込まれていました。
メイを拾った時のことあたりから。
リナの闘病、メイの闘病、タヒボ茶のこと、ホメオパシー、ジェモセラピー、
猫屋敷リンクのみんな、ニンナナンナさんのアドバイスと心遣い、
病気になってしまった子の心配、みんなのバトン。
猫屋敷だけでなく、旅立ったにゃんこ達への想いだったり、交流だったり。

ゆずが旅立ってからちょうど1ヶ月の私。
特に落ち込んでいるわけではないけどぽやーっとしたまま、
ムシムシした梅雨に機嫌が悪くなったり。
なんか、自分の中で何かがきちんと「合っていない」感覚にいらいらする。
なにか足りないような、なんだろう。

リンパ腫やら何やら、そういう病気からは解放されて気がラクのはずなのに。
「あの頃」の私と比べると、何か今の私はビミョウだ。
・・・あの頃の私は、自分から見ても何かがんばっていた気がするなぁ。
大きな闘病から離れた「平和ボケ」って障害なんだろうかもうやだ〜(悲しい顔)

>りゅうさん、振り返ってみればお世話を出来るその時間は本当に宝物ですね。
私は分かっているつもりでいました。
でもやっぱり本当の意味では分かっていなかったような気もします。


にゃんこ友達が私のメールの返信で書いてくれたこの言葉が、
静かに、とてもきらきらしていました。

ああ、そうか。

大変でもなんでもない日常。
ごはんをあげて、トイレを掃除して、時々一緒に寝転がって。
うりをだっこして思いっきり引っかかれた肩の傷たらーっ(汗)だって、
平和でキラキラした時間の一片なんだよなぁ。
いつのまにか、忘れてたのかな。
一緒に過ごせる時間は限られていて、とてもキラキラした綺麗なものだって。

あの頃はわかっていたコト。
いつのまにか、
当たり前を「当たり前」にしか捉えないココロになっていたのかなぁ。

ふと、ササやフミ、はね達を探して、あ。と思う時も未だにある。
メイが死んでしまった時のふとんとか、未だにしまったケースを開けられない。
たぬきが死んでしまった後で、残った木のお皿を見た時のぽっかり感。
ゆずのために買ったおむつやシニア缶詰の残りを目にした時の・・・。

1Fの猫部屋に入ると、なる・空・ハル・くりがすぐに駆け寄ってくる。
体格のいい(デブともいう)♂にゃんこの方が甘えん坊。
肥え太れーコエフトレーと呪文をかけながら、ごはんの配膳をする日常。
エイズキャリアでも白血病キャリアでも、
みんなこんなに肥え太って、元気に暮らしてくれて。

私は何がしたかったんだろう?
どうしてこんなにイライラしたり自分を卑下してるんだろう?
今の自分があまり好きじゃないなら、この辺でよーく考えてみよう。
というか、
あの頃の私は「何か」に突っ走ってたから、それがヒントなのかなとも思う。
またしっかり、少しずつ自分の足場を整えていこう。
ニックネーム りゅう at 23:25| 虹 旅立ちを見送ったあと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする